梅酒に使われる梅の歴史

梅の歴史は2000年前から

日本で栽培されている梅は、日本固有という説と中国から伝来したという説があります。

多くの文献では中国由来となっていますので、ここでは中国由来のものを紹介します。

 

 

飛鳥時代にやってきた梅

梅が中国からやってきたのは約1500年前の飛鳥時代と言われています。

「烏梅(ウバイ)」として中国から伝来してきました。

烏梅とは、青梅を燻製・乾燥させたもので、その姿が「カラス」のように真っ黒であることから「烏梅」と呼ばれています。

現在でも漢方薬として作られています。

烏梅は鎮痛・解毒作用があり、煎じて飲むことで風邪薬や胃腸薬として用いられています。

万葉集で大人気となる

~年のはに、春の来らば、かくしこそ、梅をかざして、楽しく飲まめ~

万葉集は奈良時代の終わりに作られたと言われている、日本最古の和歌集です。

天皇や貴族、下級官人など様々な身分の人々が詠んだ和歌が4540首、全部で20巻あると言われています。

その万葉集の中でも「梅」について読んだ歌は2番目に多く118首もあるそうです。

当時は「花」といえば「梅」を指した程人々から愛されていました。

漢方薬から風情を楽しむものに変わってきたのです。

日本最古の医学書に梅干しが登場

青梅を燻製・乾燥して作る「烏梅(ウバイ)」から「梅干し」という形に変わってきたのが平安時代前後といわれていますが、正確にはいつごろから作られていたのかはわかっていません。

日本最古の医学書といわれている『医心方』は平安時代に丹波康頼撰が作成したものですが、その「食養編」には、梅干しが登場しています。

医心方には次のように書かれています。

味は酸、平、無毒。気を下し、熱と煩懣を除き、心臓を鎮め、四肢身体の痛みや手足の麻痺なども治し、皮膚のあれ、萎縮を治すのに用いられる。下痢を止め、口の渇きを止める

このことから、平安時代には梅干しが薬用として用いられていたことがわかります。

鎌倉時代には食卓に梅干しが登場

「大盤振舞」という言葉は鎌倉時代に生まれたと言われています。

気前がいいことを指す子の言葉ですが、その言葉の語源には「梅」が関わっています。

鎌倉時代に行われていた儀式の一つとして、元旦より数日にわたりお家人が将軍に対して椀飯を振る舞う「椀飯振」という儀式がありました。

そこで出されていたものの中に梅干しがありました。

梅干しのほかに打鮑(うちあわび: アワビの肉を細長く切り、打ち延ばして干したもの)・海月(くらげ)の3品に酢と塩を添えたものを折敷(おしき)に載せて出したと言われています。

「椀飯振」がのちの「大盤振舞」という言葉の語源となったそうです。

このころは庶民の食べ物というよりは、位の高い人が食べる特別なモノであったようです。

武士の力の源

室町時代になると、梅干しは食欲増進の薬として武士の間で野戦食糧の一つとして食べられるようになりました。

栄養を素早く摂ることができ、携帯性・保存性・入手性のよさから重宝されていたようです。

これが梅の木が全国に広まったきっかけとも言わています。

秀吉も愛した梅

ある春のこと、豊臣秀吉が床の間に置いた水を張った大きな鉢の傍に、紅梅一枝だけを添え、千利休に「この鉢に、この梅を入れてみよ」と命じました。

側近たちが「これは難題だ」とハラハラして見守っている中、利休は平然として紅梅の枝を手に取ると、紅梅の花とつぼみだけをさらりと鉢に入れたのです。

水面に浮かんだ紅梅の花の風情に、秀吉は上機嫌になったといいます。

江戸時代に庶民へと広まった梅

武士や貴族など位の高い人に薬として用いられていた梅干し。

その梅干しが庶民の食べ物として広まったのが江戸時代だと言われています。

江戸の人々が梅干しを食べるようになったことで、全国へと広まり梅干しの需要は次第に高まっていきました。

当時は非常にしょっぱいもので、現在のようなシソ漬け梅干しが登場してきたのも江戸時代だと言われています。

薬用として珍重されていた梅干が庶民の食べ物として広まったのは江戸時代のこと。江戸の人々の梅干を食べる習慣が全国に広がっていき、梅干の需要は次第に高まっていきました。。当時の梅干は塩分20%前後のしょっぱいもの。また、朱色のしそ漬梅干が出来たのも江戸時代になってからとされています。

また、梅酒自体も江戸時代にはすでに存在しており、梅干しと同様に梅酒としても作られていたようです。

コレラ菌と戦った梅

江戸時代末期になると、海外からの渡航者が増えてきたことで、コレラが大流行しました。

その時に治療に用いられていたのが梅でした。

コレラ菌は有機酸に弱いと言われていますが、当時はそのことは知られていませんでした。

しかし、梅干しには強い殺菌力があることが知られており、コレラ菌に対しても治療に使われていました。

その後の明治8年のコレラ大流行の時にも梅が大活躍したそうです。

 

昭和に生まれたブランド梅

梅の最高ブランドとして知られているのが「紀州 南高梅」です。

南高梅の名前の由来は、品種選定に協力した「南高高校」の『南』と、南高梅の母樹である「高田梅」の『高』の頭文字だと言われています。

その南高梅が種苗名称登録されたのが昭和40年です。