梅酒の歴史

素材や作り方によってさまざまな表情を見せる梅酒。
そのレパートリーの広さや、飲みやすさから非常に人気となっています。

梅酒の歴史は諸説ありますが、江戸時代中期の元禄10年(1697年)に発行された「本朝食鑑」に梅酒の名前が登場しています。

本朝食鑑では、下記のように紹介されています。

梅酒は痰を消し,渇きを癒し、食欲を増し、毒を消し、のどの痛みを止める。大きすぎず、小さすぎない手ごろな半熟の生の梅二升を用意し、稲わらの灰汁に一夜浸す。これを取り出して紙で拭き、再び酒で洗い、好き古酒五升、白砂糖七斤を乾いた甕に詰め、二十日余り過ぎると、梅を取り出し、酒を利用する。あるいは梅を取り出さず年を経ればなお佳い。梅、酒ともに使える。

このように、すでに梅酒の作り方が紹介されていることから、それ以前から梅酒が存在して飲まれていたということがわかります。

では、もう少し詳しく見ていきたいと思います。

 

梅の誕生

梅酒の材料の一つである梅は、弥生時代には存在していたと言われています。
紀元前2000年頃には中国の書物に「塩梅」と書かれていることがわかっており、それが最古の記載とも言われています。

日本には弥生時代に中国の長江流域から伝わってきたと言われています。
ただ、文献によっては日本古来の原産という説もありますが、多くの文献が中国原産とされていますので、このサイトでは中国原産として扱っていきます。

当初は「烏梅(ウバイ)」と呼ばれる青梅を燻製にしたものを漢方薬として使われていました。
平安時代の中期になると、梅干しとして食用に用いられていたことが記録として残っています。
鎌倉時代以降になると、梅干しとして盛んにつくられるようになり、同時に観賞用としても楽しまれるようになってきました。

 

 

梅酒の誕生

梅酒がいつから飲まれていたのかは不明です。
江戸時代中期の元禄10年に発行された「本朝食艦」に梅酒の作り方が書かれており、それ以前から梅酒は存在していたと考えられています。

ただ、当時は砂糖が貴重品であったため、庶民が楽しむものではなく、位の高い人の中で飲まれていたと思われます。

 

梅酒の大衆化

江戸時代後期になると、保存食や薬として利用するため、各地で梅の栽培が盛んになってきました。
梅は収穫してもそのまま食べることができませんので、「梅酒」や「梅干し」として加工され、保存食としても重宝されていたようです。

アルコールを使って食料を保存する方法は、奈良時代から行われていました。
その為、もともと梅酒は飲むことが目的ではなく、梅干しと同様に梅を保存することを目的に作られていたとも考えられています。

 

梅酒製造の禁止

従来は高級品であった砂糖も、国内でのサトウキビ生産が盛んにおこなわれるようになり、一般庶民でも手に入れることができるようになりました。
それに伴い、梅酒の製造も盛んにおこなわれるようになり、梅酒も庶民の間で親しまれるお酒となってきました。
しかし、時代の流れの中で大きな転機を迎えることになります。
それは、酒税法が改定され、一般家庭で梅酒の製造が禁止されてしまったのです。
家庭で梅酒を作ることが違法となってしまい、梅酒は一気に一般的なお酒ではなくなってしまいました。

 

梅酒の商品化

酒税法により一般家庭で梅酒が作れなくなる中、ワインを中心に製造していた酒蔵が1959年に梅酒の製造を開始し、商品として梅酒の販売を開始しました。

当時はまだ個人での製造・販売でしたが、その後その会社は蝶矢洋酒醸造株式会社を設立します。
蝶矢洋酒醸造株式会社は2000年に社名変更をします。
そう、梅酒で高いシェアを持つチョーヤ梅酒です。
チョーヤ梅酒は梅酒を商品として初めて製造・販売を開始した会社なのです。

 

酒税法の改定により梅酒ブームの始まり

チョーヤ梅酒が梅酒製造を開始してから3年後に、再び酒税法が改定されました。
酒税法の改定により、一般家庭での梅酒製造が一部認められたのです。
それをきっかけに、梅酒は再び注目を受けることになります。

その中で、当時販売されていたチョーヤの梅酒も大きく脚光を浴びて大ヒットとなります。
そして、酒税法の改定、チョーヤ梅酒のヒット、梅酒ブームにより、梅酒は再び身近なお酒として親しまれるようになりました。